10日(土)に今年5月に亡くなられた川本監督の追悼植樹式が行われました。この日は、ちょうどキッズの練習日だったので、練習に来た小学生とその保護者の方々も参加することができました。
樹木は川本監督が亡くなった5月に花を咲かせる「ハナミズキ」です。このハナミズキの花言葉は「永続性」「返礼」で福大陸上部のチームカラーである「ピンク」の花を咲かせます。
~先(ま)ず人を渡せ~
プレートに彫られた「先ず人を渡せ」とは、川本監督の座右の銘です。この言葉は、鎌倉時代の禅僧・道元の主著「正法眼蔵」に書かれている言葉です。文字通り「自分より先に他の人に渡ってもらう」と捉えられますが、それだけにはとどまらない大変深い意味のある言葉です。「他人への思いやり」を大切にしていきたいですね。
【プレートに記された川本監督の業績】
1957年12月5日 佐賀県伊万里市に生誕。 1984年福島大学赴任。大学では「陸上競技」や「トレーニングマネジメント」などを講義する一方、陸上競技部監督として学生指導にあたり、短距離・ハードル・跳躍種目で日本のトップレベルの選手を数多く育成、教え子とともに世界へ挑戦し続けた。また2011年より東邦銀行陸上競技部監督も務め、世界選手権代表や東京パラリンピック入賞者を輩出した。 38年間の指導を通して、12名の日本記録保持者と28名の日本代表選手を育て、日本記録を51回樹立、日本選手権65勝を果たした。2008年北京五輪では福島大学初の五輪選手を輩出。現役学生と卒業生4名で4×400mリレーのバトンを繋いだ。 2007年、2008年には地方の国立大学としては快挙となる日本インカレでの女子総合優勝を果たした。全日本実業団対抗選手権においても2回の男女総合優勝、13回の女子総合優勝を成し遂げ、学生界だけではなく実業団の監督としても輝かしい実績を残した。 また、小・中学生を対象とした陸上クラブ「福島大学トラッククラブ」の開設、チーム川本のメンバーと協力して福島駅前のダッシュ大会「ももりんダッシュNo,1」を開催するなど、陸上競技を通した地域活性化にも尽力した。 2022年5月11日 満64歳で病により逝去。 |
トラッククラブスタッフ一同、川本監督の教えを引き継ぎ、今後も、その教えを子どもたちに伝え続けていきたいと思います。